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コンセプト

卯三郎こけしの創業者、岡本 卯三郎の孫に生まれ常に木と共に成長してきました。
卯三郎の孫の作る作品は、こけしの伝統や技術を引き継ぎながら独特な世界観を表現しています。

こけしは古くから民芸品として観光地のお土産にたくさんの人に買われていました。
今では、日本のお土産として海外のお客様から高い支持を得ています。

日本のモノを日本のヒトへ。
卯三郎の孫の基本理念は「こども目線の重視」。
こどもの心が豊かになることを想って、こけしづくりに取り組んでいます。
キャラクター化されたこけしはその一例で、まるで絵本から抜け出てきたようにファンタジック。
フォルムのベースは森のきのこや木の実で、
森林豊かな群馬の自然を未来につなげていきたいとの思いも込めています。
一見、手を加え過ぎないシンプルな形状・彩色が新鮮です。

子供たちの遊び道具から日本の伝統的な工芸品となった『こけし』は、ひとつひとつが手作りです。

やさしい温もりのある木の風合いを活かした表情や色のにじみなど、手作りならではの持ち味やぬくもりを感じてください。



こけしができるまで

こけしってどうやってできるの?

それは、それは長い道のりです。
まず、原木の皮をむいて約1年ほど乾燥させます。
『 ロクロ作業 』『 塗 装 』『 荒 削 り 』『 組 立 て 』『 絵 付 け 』
『 面 取 り 』『 内 抜 き 』
それから、木取り→削り出し→粗磨き→仕上げの磨き→絵付け→塗装→組み立て、
この他にも細かくいくと約20工程以上の手間暇をかけてこけし達は、箱詰めされて、出荷されていくんです。
1からすべての作業をこけし職人さんは行うので、とっても大変な作業です. . .

『こけしの木・縁起の木・卯三郎のこけし』

こけしの材料は、日本の主に群馬県産の水木・栗の木を主に用い、
水木は、春芽吹く時に大量の水を吸い上げることから、
火伏せの木として古来より上棟式のとき屋根に水木を飾り、
家を火災・災難から守る縁起の良い木として使われてきました。
栗は、実は勝栗(搗栗)とも云われ、搗と勝と通ずことから、
出陣や勝利の祝・正月の祝儀などに用いられました。木材は、耐久・耐湿性に強いことから、家の土台や枕木などに用いられ、しっかりとした基礎を築く、 縁起の良い木です。家を守る人形として、是非、お飾りください。

『群馬のこけし・卯三郎こけし』

群馬のこけしは、明治43年春、総社町の元祖関口翁の手によって、
ロクロ工場が開業されたのが始まりです。
工場といってもロクロの回転には、足踏み式の大変な労力と技術を要する仕事でした。

大正12年、現在の動力線が入り、モーターに切り替えた近代的な動力工場を設立、 量産体制の入り、新しい産業を志す者が次第に増え、
同工場にて養成された人々が相次いで独立、総社玩具の名は全国各地に及び、 重要産業と認められ、昭和9年には、天覧並びにお買い上げの栄を賜りました。

関口翁から受け継がれた総社玩具といわれる物は、
ガラガラ・コマ・ケン玉・ママゴト道具等がありました。
材料が県内で豊富に供給できること、ロクロの技術を早く取り入れたことが、 この産業を伸ばす要因となっていました。

こうした背景の中で、戦後昭和23・24年、世の人々が戦争で受けた傷あとを忘れようと平和な生活を求めて躍動し始めた頃、

群馬のこけしが「平和の使者」のごとく誕生しました。

群馬のこけしは、いわゆる伝統こけしの形態一棒のような形のものとは違い、 男女一組のアベックこけし、カッパこけし、子守こけし等々、種々さまざまの形のこけしが誕生しました。

おおまかな工程

工程1 木取り
原木の皮むき
乾燥
工程2 削り出し
工程3 荒削り
工程4 粗磨き
工程5 仕上げの磨き
工程6 絵付け
工程7 塗装
工程8 組立て